山梨学院パブリシティセンター
 
平成28年度「創立者古屋賞」に二人が受賞
〜レスリング・オレッグさん、空手道・田中美佐稀さん〜
〜国内外の大会で顕著な成績を挙げ、大学の名声を高める〜

3月15日に挙行された平成28年度山梨学院大学・同大学院、短期大学・同専攻科合同卒業式において「創立者古屋賞」がレスリング部のボルチン・オレッグさん、空手道部の田中美佐稀さんの2人に授与された。「創立者古屋賞」は、当該年度の卒業生の内、学術・文化芸術・スポーツ・資格・社会活動、その他の分野において学生の範となる顕著な結果を挙げ、山梨学院の名声を高めた学生に授与する制度。今回のアクティブは「創立者古屋賞」を受賞した二人に受賞の喜びや、今までの競技生活を振り返って貰い、卒業後の抱負などを聞いた。

ボルチン・オレッグさん 1993年2月10日生まれ 24歳 カザフスタン出身。
アスタナ高⇒山梨学院大経営情報学部経営情報学科卒業。家族構成は、両親、本人、妹の4人家族。卒業後はブシロード(新日本プロレスの親会社)に入社。

ボルチン・オレッグは強かった。内閣総理大臣杯全日本大学選手権大会フリースタイル125s級で史上7人目となる個人4連覇を達成。団体総合優勝2連覇に貢献。全日本学生選手権大会(インカレ)でも3度優勝(3年次は怪我のため不参加)を飾り、4年ではフリー、グレコローマンの両スタイルで優勝。フリースタイルでは4年間負けなしの圧倒的強さを誇った。これらの成績により、「創立者古屋賞」が授与された。これに対してオレッグさんは「とても嬉しく光栄に思います。この賞を貰ったことで、これからも頑張れると思います」と将来への励みにする。

レスリングは11歳の時、同級生が皆やっており、当時から身長は高かったものの痩せて細く、強くなりたいと始めた。当初は、全く結果が残せず、ようやく17・18歳の頃に国内ジュニア大会で優勝を果たした。その後、カザフスタンの大学へ進学。その年のアジア・ジュニア選手権3位に入賞した。その大会を視察していた小幡邦彦コーチに勧められ、さらに強くなりたいと2013年来日、日本での合宿参加や山梨学院での練習を経験し、山梨学院大レスリング部の門を叩いた。オレッグさんは、重量級ながら高速タックルを仕掛ける軽量級の身のこなしが身上。入学早々、東日本学生リーグ戦に出場し優勝に貢献した。オレッグさんは「印象に残っているのは、山梨学院に来て、最初の大会の東日本学生リーグ戦優勝と、それから、昨年のこの大会でも優勝でき、4連覇に貢献できたことです」と団体戦優勝を挙げた。オレッグさんは、いつも優しい笑顔で周りへの感謝を忘れない。「この4年間、仲間と共に頑張り、いい練習ができました。いい結果も残せました。高田裕司監督、小幡コーチも一生懸命に、私が強くなれるように指導してくれました」と話した。昨年のリオ五輪では、カザフスタン代表を目指したが国内5位に終わり、代表選出は叶わなかった。今年3月1日に行われた国内大会でリオ五輪出場選手を破り、2020年東京五輪に、「これから3年間頑張るので行けます。金メダルを狙います」と自信を見せる。

卒業後は、新日本プロレスを傘下に置くブシロードに所属し、山梨学院を練習拠点に東京五輪でのカザフスタン代表を目指す。その後はプロレスラーに挑戦する予定。「強く有名な選手になりたい」と設計図を引く。「初めて日本に来たときに、日本語も全く分からなく、生活のこととか、皆が本当に優しく教えてくれました。日本に来て本当に良かったです」と優しい笑顔で話した。

3月15日に行われた卒業式には両親もカザフスタンから駆けつけ、「創立者古屋賞」を授与される我が子の晴れ姿を見守るため式に参列した。

田中美佐稀さん(たなか みさき) 1996年5月31日生まれ 22歳 長野県北安曇郡池田町出身 山梨学院高⇒法学部政治行政学科卒業。両親、姉二人、本人の5人家族。
卒業後は西濃運輸に入社。

もう一人の受賞者、田中さんは苦難の競技生活に「順調に行かなかったからこそ、最後にいい結果に成り、このような素晴らしい賞をいただくことができ、苦しんだ甲斐がありました。ここからがスタートですけど、大学の最後の節目に、苦しい思いの中、諦めずに上を目指し続けて良かった」と晴れやかに語った。

田中さんが空手を始めたのは4歳の時。元気が有り余るほど活発な子どもだったことから姉の友だちのお母さんから誘われ始めた。「小さいころから空手一筋で、走ることは好きですけど他のスポーツは余り得意ではなく、球技は好きではない」と言う。長野県出身の田中さんが山梨学院高に入学したきっかけは、小学校2年生のとき全国で優勝して以来、北信越大会では勝つものの全国に行くと全く勝てず、レベルの差を思い知らされた。たまたま長野の練習会に山梨学院高から参加していた選手に声を掛けられ、「関東という厳しいレベルのところに自分の身を置いて戦わないと全国では勝てないと思い、環境の良い山梨学院に来ました」と当時を振り返った。高校に入学すると大学の寮に入り、強くなりたいという一心で練習に打ち込み、部活以外にも学校の許可を得て週1、2度新潟県の道場に通った。「授業終わる時間に母親が山梨へ迎えに来てくれ、そのまま新潟へ行って練習して、一度長野の実家に帰り、翌朝始発で山梨へ戻って学校に行くという感じでした。本当に母親とか家族の支えがあったからこそ、ここまでこれたと思います」と感謝した。努力と練習の成果もあり、高校3年のインターハイで3位になり結果を出し始めた。

田中さんは、大学に入学した時に、全日本学生選手権大会に優勝することを目標にした。空手を初めて17年。大学3年の同大会で後一歩の悔しい3位を経験。4年になって心境に変化が出た。「今まで絶対1位になると思いやってきた時は勝てなかったのですが、主将になり、空手道部を盛り上げるためにもっと自分も頑張れば自分の背中を見て後輩たちが付いてきてくれ、切磋琢磨できるような環境を作れると思いました」と強くなった原動力を語った。その結果、大学4年の同大会は、山梨学院大空手道部女子で創部初の『個人形』で優勝を飾った。この優勝で田中さんは、初の国際大会『世界大学空手道選手権大会』への出場権を獲得した。昨夏8月、ポルトガルで行われた同大会は、対戦する相手の下調べを入念に行い、それぞれの相手に打つ『形』を組み立てながら戦略を練った。順調に決勝戦まで上りつめ、最後の対戦で使うために温存していた得意の形『スーパーリンペイ』で臨んだ。相手はアメリカの選手で国際大会常連の強敵者。「ここまで来たら勝つしかないと思い、少しは緊張していましたが、逆にテンションが上がって、ウキウキしていました」とその場の気持ちを振り返った。先行での演武は「『最初に見せつけてやろう』という強い気持ちでやれたので良かったです。旗は3対2のぎりぎりの戦いでした」。最初の国際大会で優勝の快挙を成し遂げた。11月の全日本大学空手道選手権(インカレ)では、模範演武を披露する栄誉に授かった。

田中さんは、卒業後は西濃運輸へ進み、空手道部で技を磨く。「今、私に足りないものはダイナミックさ。重厚感や力強さはありますが、それに対比するスピード感、弾け感というものが足りないのでダイナミックスな演武に繋がってこないので、そこを課題に取り組んでいきます」と4月のナショナルチーム入りを目指す。3年後の東京五輪には「世界チャンピオン、1歳年上の清水希容選手(ミキハウス)を抜いてオリンピックで頂点を目指します」と意気込んだ。

リオデジャネイロ五輪までに52人のオリンピアンを輩出した山梨学院関係者に、東京五輪では今回紹介した二人の名も刻まれることを楽しみに待ちたい。

文(K.F) カメラ(平川大雪)2017.3.17
アルバムオレッグ選手 アルバム田中選手

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